下仁田ねぎとは?
白根が太く短い下仁田ねぎ
下仁田ねぎとは群馬県甘楽郡下仁田町及びその周辺で栽培されている根深、夏型ねぎです。
1本ねぎで株分れは少なく、白根の長さは20cmあまりで直径は6〜9センチのものもあり、一般のねぎよりも明らかに太いのが特徴です。
生では辛味が強すぎて食べられないほどですが、熱を通すと特有の甘味がでます。すきやきや鍋物の具材として使われる場合が多いようです。
下仁田周辺以外でも栽培する事はできますが、甘さ、やわらかさ、太さとも十分なものが出来ず、それゆえ他地域ではほとんど栽培されていません。
下仁田以外でも栽培できるように品種改良が繰り返され、新品種のものができましたが、在来種のものとは明らかに味が違うという意見も多く、在来種の生産量の少なさも手伝い、生粋の下仁田ねぎは貴重とされています。
下仁田ねぎの歴史
ネギの原産地ははっきりしておりませんが、一般には中国西部ではないかとされています。 我が国では、「日本書紀」にネギの名が出てくるほか、平安に編集された「本草和名」にも書かれています。下仁田でいつから下仁田ねぎが栽培されていたかは実は明らかではありません。
下仁田ねぎは殿様ねぎ
下仁田町の桜井家にある古文書(1805年11月のもの)に、「ねぎを200本すぐ送れ。運賃はいくらかかってもかまわない」という趣旨の記述があります。このことから殿様が欲しがったねぎ=殿様ねぎといわれるようになりました。
明治5年、隣町の富岡製糸場の創業とともに、贈答品として下仁田ねぎの需要が一気に高まりました。
その後、皇室への献上、明治・伊勢神宮での奉納農産物品評会での連続上位入賞で名産としての評価が一段と高まり、需要もさらに増加しました。
これに伴って、群馬・長野の両県農事試験場が他地域での栽培の可能性を試験しましたが、群馬(前橋)では育ちが悪く、長野では育ちすぎて葉が硬直するなど食べ物にならなくて、結局「下仁田ネギは下仁田におけ」という結果に終わったといわれています。
昭和22年、上毛カルタが編集され「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれさらに知名度が上がりました。
下仁田ねぎの今
生粋・在来種の下仁田ねぎは今でも生産量は極めて少なく一般のスーパーにはほとんど出回りません。
京阪を中心とした卸売り市場へ出荷されている下仁田ねぎもありますが、そのほとんどが新種のそれであるようで、それでさえ驚くような値段で店頭に並ぶと聞きます。
下仁田ねぎは年に一度の収穫で、販売時期が11月〜12月。お歳暮の時期とちょうど重なる事もあり、多くは贈答品として消費されます。農家直売の路肩販売もさかんで、贈答以外はほとんど地元で消費されてしまいます。
近年、インターネットの普及とともに、下仁田ねぎのネット通販も行なわれるようになりました。
ぜひ、本場の純粋・正統な下仁田ねぎを食べていただきたいと思います。